空気を読んで空気のような人間になる
2010年01月23日

ども。いしざわよしのりです。
今日は、マイクロソフト日本法人の元社長 成毛眞さんの書籍をご紹介。
その書名は、『大人げない大人になれ』
のっけから引用します。しかも引用の引用まであって、アレなかんじですが、興味がわいたので、ご紹介。
私にとって「空気」を読んでばかりいる人は、いてもいなくても大差のない、存在感のない人である。他人の顔色ばかり窺う。納得もせず、その場の流れに任せて自らの考えを曲げる。そのような人からは、新たな気づきも得られることはなく、建設的な議論も期待できない。自分を肯定してくれる存在は心地よいかもしれないが、長い目で見れば、付き合うことに価値があるとは思われないのである。
この↑文章を読んだとき、思ったんです。
「自分は他人と一緒にいて、何をする・成し遂げるべきだろう?」と。
空気を読んで、空気のような存在になるならば、それはもはや多数決の頭数にしかならない、とも書かれてました。たしかに。
組織とか、何かしらのコミュニティにいる限りは、なにか自分だけが発揮できる価値がないと、それはただCO2を吐き出す生命体でしかないわけで。
と考えると、気を使って迎合したり、何も言わなかったりするよりは、「こういう考えはどうでしょうか?」とかいう示唆くらいはアリだと思うんです。
言うだけタダですから。(ま、あんまり的外れだと、頭がヨワい人だと思われるリスクはありますがね・・・)
むしろ、尖ったことを言い、それに対するリアクション(論理的に弱い部分や不足している部分に対する
ツッコミ)がフィードバックになって、ならばこうしましょうとか、代案はコレだよね、とか次に進めるようになるわけですね。
それがもし、他の人に対する気づきにつながるとしたら、価値につながるかもしれない。
このヒット率を上げるためにも、流されるんではなく主体的に考え、体験し、
それを自分視点だけでなく別な視点からも解釈して、
アウトプットし続けるってことが必要なんではないでしょうか?
そもそも、アウトプットに対する他人からのリアクションを恐れない。リアクションを受け止める姿勢が必要なのかなと。
空気を読んで消極的になるってことは、自分が行うアウトプットに責任をもてないってこと。
じゃ、たくさんインプットして、とりあえずでもいいからそれをアウトプットしてみて、
それに対するツッコミを受け入れて(これもインプット)、じゃ、こうなんじゃないかともう一回考えてみる。
そんなふうに成長していけるんじゃないかなと思うわけです。
そういえば、同じテーマに関して、こんなこともかかれてました。
「空気」に関する研究としては、『日本人とユダヤ人』(山本書店)の著者として有名な、山本七平の『「空気」の研究』(文春文庫)がある。山本によると、「空気」による支配が日本人の間で猛威を振るいだしたのは、近代進行期であるとされている。徳川時代と明治初期には、少なくとも指導者には、「空気」に支配されることを恥と考える一面もあったという。人間とは、「空気」に支配されてはならない存在であるという考えが、確かにあったのだ。
なんとなく自分の思い込みだったのかもしれませんけど、昔の人ってもっと空気を読みまくっていたのかなと思ってたんですが、そうじゃない。この空気を読むという空気も、作られたものだったのかもしれませんね。
そういう意味で言うと、昨年末までやってたNHKドラマ『坂の上の雲』では、主人公たちが、自分で学び、そこから自分のあり方を探りながら、行動を吐き出していった姿が描かれていました。
誰かを気遣うことはあっても、迎合はしない。
それぞれが、それぞれにやりたいことを学び、実践していった。そんなバイタリティあふれる物語だった気がします。
(第二部が2010年12月開始ってどーいうことだよと思いましたがね)。
久々のエントリでこんなことを書いてみましたが。
少なくとも、自分は空気みたいな人間になるよりは、小さくても人に何か痕跡とか影響を与えられる人になりたいですね。
そっちの方がオモシロそうですし。
謹賀新年。目標達成のために環境を整えましょう!
2010年01月01日
あけましておめでとうございます。
サクっと年が明けましたね。2010年の始まりです。
今年はどんな年にしようかと考えておりますが、皆様はいかがでしょう?
ちょっと今年の目標を考える前に、とりあげたいことがあります。
「人は環境によってつくられる」
という言葉ですが、よく聞きますよね?
目標設定をするのにちょうどいいこの時期なので、あえてこの話題です。
今年一年をどんな年にしようかと、思い描いたり、紙に書き出したり、妄想したりと、あれこれしたくなりますが、じゃ、どうやって実現するんだ?というところがスッポリ抜けてたりするものですから。
目標とかを妄想してそれでおなかいっぱいになってしまうこと、ありませんか(私だけ?)
目標を設定するからには、それを実現できる環境が必要だと。
去年と同じ環境だと、実は何にも変わらないんじゃないか?と思うわけです。
前も引用しましたが、大前研一さんの言葉にこんなのがあります。
自分が変わるために
・時間配分を変える
・環境を変える
・付き合う人を変える
最も無意味なのは「決意を新たにすることだ」
この時期、「決意」したくなる衝動に駆られます。
それで、ついつい「決意」しちゃうんです。
じゃ、全ての目標を達成したかというと、年末にはその目標すら忘却の彼方に...というサムい事態になってたなんてこともあるわけです。
ちなみに、調査結果によると、8割もの人が、新年の目標達成が出来ていないようなのです。
英ハートフォードシャー大学で心理学を研究するリチャード・ワイズマン教授という人の調査結果が出てましたので、参考にどうぞ。
http://www.narinari.com/Nd/20091212849.html
目標設定は超・超・大事ですけど、本来は、目標設定のあとに、達成を可能にするような環境づくりを考えるべきなんです。
その目標を達成するために、今日から何をはじめる?
なにか習慣を変えるの?
毎日のタスクのなかに、新しいルーティンワークを組み込むの?
とか。
ちなみに、極端な例ですが、環境を変えることってのは、人の行動に対して、かなりインパクトがあるようです。
●80年代のNYで実践された、ブロークンウィンドウ理論 アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリングが考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96
例えば、80年代NY。年間60万件の重犯罪が起こってしまうという治安崩壊の状況を、
取締りの強化という方法ではなく、
地下鉄の落書きをカンペキにきれいにすることで、犯罪数の現象につなげた。
という事例です。詳しく知りたい方は、上のリンクに詳細があります。
「環境」というと、すごく大げさに聞こえますが、
別に、模様替えをしようとか、イメチェンのために洋服一式総とっかえしましょとかいう話ではありません。(それも手のひとつですが)
要は、頭の中にどんなインプットをするか?脳に、どんな情報シャワーを浴びせるか?
ということもアリだと考えるわけです。
「自分の意識」以外は、自分に対する「刺激情報」です。
部屋の壁の色、家具、電球の色味、落書き、ゴミの入っている放置自転車、付き合う人、という外部環境だけではなく、(意識以外の)自分の体も環境なわけです。
例えば、髪型、服装、使う道具、履いてる靴、鞄、めがね、(女性ならネイルも?)。
しかも、この「刺激情報」には「言葉」も含まれるはずです。
毎日見るニュース、ブログ、職場で聞く言葉、同僚の話す言葉、自分の話す言葉。
こういうものを変えることで、自分の意識・無意識に変化がおこり、行動が変わる。
それが目標達成とおんなじベクトルにあったら、そりゃ達成できるんではないかと。
たとえば。。。
自分の言葉遣いを変える。
ネガティブなことばっかり言うひととは、ちょっと距離を置いてみて、ポジティブ人間と付き合ってみる。
自分もポジティブなことばかりを言う
今まであんまり興味の無かった国際政治ニュースのRSS購読をしてみる。
もっと詳細な視覚情報を取り入れるために高倍率SurgiTelにアップグレードしてみる(笑)
ま、こんなささいなことでも良いかもしれません。
ちなみに、「RSSで購読するブログの種類を変える」というのは、脳に対して相当なインパクトがあります。
去年は身をもってその効果を実感しました。アンテナの張り方が変わります。自分の興味の範囲が広がります。ぜひお試しを。
興味なんていくつあってもだいじょぶみたいです。うまい具合に脳ミソさんが処理してくれるんですよねー。
てことで、これから目標設定をされるみなさんも、
どんな環境に身を置こうかというところまで、
思いをめぐらせてみましょう(お試し感覚で)。
きっとすばらしい一年を送れるはずです。
では、今年も一年、宜しくお願いします。
問題解決のための心がけ
2009年11月17日
ども。しばしご無沙汰しておりました。いしざわです。
私、(自称)マーケッターですが、セールスパーソンでもあります。
できれば売るスキルというよりは、問題解決をして、せっかくお付き合いするならば、顧客の役にたてる活動をしたいと思いながら、いろんな本をあさりつつ、実践の毎日を過ごしています。
さて。そんな中で、あーこれはいい心がけだなぁという記載がありました。
本日はそれを引用してみます。
引用元はこちら。

クラッシュ・マーケティング
ビジネスの停滞要因=スティッキング・ポイントを粉砕する9つの方策
[著]ジェイ・エイブラハム
・あなたは、営業マンではなく、プロのファシリテーターである
・医者のように働く。つまり、自分の腕に自信があることを見せて信用を得、問題を総合的に診断し、拒絶される不安や躊躇なしに処方を行う
・照準は、注文ではなく、クライアント(顧客)に合わせる
・成約できなくてもOK
・率直で正直な会話を求める。あなたも顧客も自分の立場を良くわきまえることが必要
・あなたと顧客が対等な立場に立っていること
・フェアプレーに徹する
・損な取引をしない
・売るのは顧客。あなたではない
・お互いの関心度合いが同じことを確認する(水辺に連れて行けば水を飲むと分かっているときだけそうすること)
成功している歯科医の話を聞くにつけ、この項目にどんぴしゃでハマっています。
患者さんの人生全体に触れているというか。もちろん「歯」は見ています。それは当たり前で、その先の患者さんの将来まで見ている。そして、ことごとく患者さんから信頼されている。なぜなら、患者さんにとっては、痛みをとってくれる歯医者さんというだけではなく、「私に豊かな人生をもたらしてくれる先生」と受け入れられてるはず。
顧客(患者さん)が求めるゴールを探りながら、そのゴールへ到達するサポートをする。
なにかサービスを提供する誰もが同じ。
自分が売りたい商材・サービスの前に、顧客を見ろ!!ということですね。
<追記>
そういえば、たまにこんなこと言われます。
「なんでキミ、売り込んでこないの?」と。
そう感じたときは、そういうタイプの人間なんだなぁと思ってご容赦ください。
きちんと質問しながら、先生の求めるゴールを聞かせてもらえるよう、心がけておりますので。
実は、さまざまな書籍で言われていることですが、セールストークばりばりのマシンガントークは、長期的に見てあまりメリットがないと感じています。私にとっても、しかも顧客にとっても。
できれば導入後も、「よかったー!!」と実感していただきたいと思っていますので。
というわけで、宜しくお願いいたします。
この絵一枚描けるまでにどんだけ投資したと思っているんだ!
2009年11月11日
ども。いしざわよしのりです。
今日のお話は、ある歯科治療に関する勉強会に潜り込んでたときに、主催者の先生がお話していた逸話です。この話に私、考えさせられましたので、ご紹介。
これは、ピカソに関するエピソード。
(ってことで、MOLESKINEのフォトをアップしてみました。)
さて本題。
ピカソが橋の近くでいつものように似顔絵描きをしていた時のこと。
とある紳士が「私にも一枚似顔絵を描いてくれないかね?」と。
ピカソ 「あいよっ。」
サラサラサラ~。ひと筆ふた筆で、あっという間に出来上がり。
ピカソ 「ハイお待たせ。んじゃ、一枚50万円ってことで。」
(*金額、テキトーです。しかも日本円…。私、ココを聞き逃してました。いわゆる法外な値段だったそうです)
紳士 「ハァァ??あっちの似顔絵描きは一枚3000円だよ??その金額はありえんわ」
ピカソ 「ハァァ??ナニ言ってんスか??この絵が一枚描けるようになるまで、こっちがどんだけ投資したと思ってんですか!?」
てな話です。
今でこそピカソの絵は、もう値段がつけられない位の高値ですが、当時はそんなことない。ある程度有名だったかもしれませんけど、この値段は、ピカソ自身が決めたものです。これまでの自己投資と、費やした時間をベースに。そしてそれがどれほどの価値があるのか分かっていて、言ったことだとおもいます。
ピカソの価値は絵画にあったようですが、我々はどうでしょう?
生きていく限り、人の輪の中でなにか価値を提供し、それに対する対価を得る。その繰り返しです。ある人は絵を描き、ある人は歯科治療をし、ある人はモノをつくり、サービスを生み出し、ある人はデザインし、ある人はそれを売り、ある人はその修理・メインテナンスを生業とし、ある人はそういう人たちを管理し、ある人はその品質を管理し、ある人は自分たちのすばらしさを多くの人に伝えたり...と。どんな仕事であれ、そこには価値の提供と対価の支払いという行為があります。
その価値を提供するための行為を通じて経験値を増し、スキルを上げ、より価値の高いパフォーマンスが可能になるはず。そうすると、誰になにを提供するか?そしてどれほどの対価が得られるか?が問題になります。
例えば、このピカソの話で言えば、もし安売りしてまで全部の客をつかまえて対応をしようとすると、イザ自分が付加価値の高い仕事をしようと思っても、そのための時間がない。「安物だけでじゅうぶん!」って思ってる人に、大事なリソース(時間)を取られてしまうのです。時間と同時に、クリエイティブなことを考えられる、脳の空きメモリまで奪われます。
時間は限られているわけで。これでは、一皮むけるチャンスを自分で放棄することになります。
どうしても安く似顔絵が欲しいなら、向かいの別な似顔絵師を紹介すればすむ話です。
「あっちだと3000円で描いてもらえますよ」と。
これでお互い満足じゃないでしょうか?
これと似たような現象はいたるところで見受けられます。
単純労働は、機械もしくは外国の安い労働力にシフトしている。
入力業務など、これまでホワイトカラーが行ってきたことは、PCの自動化技術によって効率化され、労働量自体が減少する。そして、よりクリエイティブな発想・行動を起す人に、資本が集中すると。
いかに時間を取られずに、よりクリエイティブで価値あるものに自分の時間を振り分けられるかということです。これがもし、求める全ての人に、自分の価値をたたき売っていたならば、今のピカソの名声はなかったでしょう。もちろん、ビジネスパーソンとしての私たちも同じです。名声というより、自分の市場価値を下げてしまう。もしくは職すら失いかねない時代です。
自分にはなにが出来るのか?
それを誰に提供したいのか?
そもそも自分はなにがしたいのか?どうなりたいのか?
じゃ、いまある時間をどんなことに振り分ければいいのか?
どんな自己投資が必要なのか?
そして、自己投資をしていて、かつ、価値を提供できるのであれば、自分を安売りしちゃいかん。
などなど、こんなことを考えさせられるお話でした。
*WEBでいろいろ検索しましたが、このお話のソースは見つけられなかったので、話のディテールには間違いがあるかもしれません。しかし本筋はハズしていないと信じたいです(正確な情報をお求めの方には申し訳ないです)。
関連リンク
イチロー新記録から見えた、やり抜く力
アムロがいきなりガンダムを操縦しだしたように…『目立つ力』
2009年10月13日
いしざわよしのりです。
今日は書籍のご紹介です。
私、カツマーではございませんが、この本はブログを書く or これからはじめる人必読の書かもしれません。
ブログを戦略的に始めて、そして継続するための手引書となっているからです。
戦略策定のステップだけでなく、自身の事例を交えながら、どうやってメディア上でのプレゼンス(=目立つ力)を掛け算式に増やしていったのかが書かれているんです。ここで書かれたブログというツールの特性は知っていて損はないでしょう。
興味のある方は、新書ですし、一度読んでみては?
さて。「ブログ」で思い出してしまうのが、WEB2.0という言葉。コレが騒がれていたのが遠い昔の事のように思われますね。もはや騒がれるような新奇性は無いけれども、当たり前のものとして、生活の中に溶け込んでしまったんでしょうかね?意味不明なコトバに踊らされるのでもなく、機能に振り回されるでもなく、「ネット」というツールを自分のブランディングのために使いこなす時代が来たのだと実感してます。
本書を例に言えば、
自分の設定した目標に向かって、ブログというパーソナルメディアを立ち上げ、使い倒すことができるようになったのです。
だれもが、
ブログの継続を通して、
自分しか持ち得ない視点で情報発信したり、
自分特有の経験を共有したり、
自分とはこんな人間ですと伝えたり、
できる時代になったんですね。
そう。やろうと思えば、だれでもガンダムを乗りこなせる時代になったわけです!
そして、このコンテンツの連続が、WEB上とはいえ、バーチャルな人間像が創り上げられていきます。読者の頭のなかで。(あくまでバーチャルです)つまり、ブログ自体が、名刺一枚を圧倒的に凌ぐ「わたしだけの」メディアになるのです。
その現象は、本書では「立体名刺」と呼ばれます。
で、それが何をもたらすかというと、
===
P.6
このようなコンテンツは、人と人を結ぶ触媒なのです。そして、考え方に賛同し、仲間になってくれる人を自然に集めて、一緒に協業する機会を増やし
===
てくれるのに貢献すると。
仕事をしているとつくづく思いますが、結局人と人のつながりの中で、仕事が行われていくんですよね。
(そもそもWEB上で完結するはずがありません。どこかでリアルな人間同士のつながりになるはずです。*あえてリアル面を出さないビジネスじゃない限りは…ですが)
例えば、初対面のシーン。
「この人のこと、何も知らない…。どういう人かな?」と思いながら会うのと、
「この人は、こんなことに興味があるのかぁ。」というような、人物像を想定しながら会うのでは、その経験というか、付き合いの深さはぜんぜん別なものになりますよね。「初対面ではない」ような感覚でしょうか。
そんな効果をもたらす媒体を、個人が持つことができるんです。
この「人と人のつながり」という部分をハズさずに、情報発信を続けながら、求める成果に向かっていれば、我々もニュータイプに近づける??
歯科医院さんでも、最近ブログを継続しているところをちらほら見かけます。
もちろん私は、読んでから訪問しますが。
私にとってもそうですが、患者さんにとっては、やはり知らないところは「アウェイ」なわけです。でも事前にその人となりを知ることができれば、完全な「ホーム」ではないですけど、「ややホーム」くらいにはなりますよね。
ま、この話は、すでにチャネルを持ってるひとならば不要かもしれません。
ですが、「もっと多くのひととつながりたい」とか、
「まったく別の分野の人ともつながりたい」とか、
「ビジネスチャンスがあちらから来るようにしたい」とか思う方は、やらない手は無いですね。
ちなみに、こんな記事もネット上で見つけました。
『転職活動する暇があったらブログを書け』
http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/cs/200909/02/01.html
私、IT戦士でもないし転職も考えていないのですが、ブログに関しては、「なるほど」と思えることが書いてます。
よかったらこちらもぜひ。
では。
「○○になりたい?」それとも「○○をしたい?」
2009年10月05日
よく小さい頃、周りの大人に、「大人になったら、何になりたい?」
とかきまれませんでしたか?
で、例えば
お医者さんになりたい。
お花屋さんになりたい。
お嫁さんになりたい(?)とか。
(ムコになりたい…という戦略的なチビっこ…はおりませんでしたが。)
しかし、残念なことに、「◯◯になりたい」と願うだけでは、何も変わりません。
私の29年の人生のなかでそうなったためしがないです。
何かをしたから、そうなったはずです。
「なりたい」(want to be)は、
「したい」(want to do)の「結果」なんですよね。
だから、いったん「○○になりたい」思考から解き放たれましょうよ!というのが今日のテーマです。
何か成し遂げたいことを実現したり、現状からの変化には、行動が伴うはずです。
例えば、
朝、起きる時間行動を変える。
読む本のジャンルを変える。
使う道具を変える。
環境を変える。
つきあう人を変える。とか。
つまり、「何になりたいか」を聞いた後で(というかコレ不要?)、
「これからしていきたいことはなに?」って聞かれた方が、
自分が向かいたいゴールまでの道のりが見えてくるはず。
脳は、聞かれたら無条件にその答えをイメージしてしまうそうなので。
宇宙飛行士になりたい!!と言いながら、具体的なアクションをとらず、
文学に親しんでても、一生、宇宙には行けないわけです。
そもそも、このエントリを書いたのは、自分の思考パターン?というか、OS?みたいなものが
「○○をしたい」志向ではなく、「○○になりたい」志向だってことに、ハタと気づいたからです。
自分を変えるにはOSを変える必要もあるかなと思いまして。
で、私の経験上、
冒頭の質問「大人になったら、何になりたい?」みたいなものに、(少なくとも自分は)慣らされていたわけです。それが当たり前のような。
この状態のまま、いくらキレのある情報を集めても、
そもそも自分のOSのバージョンが古い?いつもどおり?なので、
発想法、行動様式、なんにも変わらんのではないか?という思いがありまして、
ちょっとまとめてみました。
トライすべきは、「○○になりたい」からスタートでなく、
「○○したい!!」からスタートしようと。
一緒に実験してくれる方、興味のある方は、思考のOSアップデート、試してみませんか?
では。
「努力」の正体、それは、未来から見た「アクションの評価」。
2009年09月19日
ども、いしざわよしのりです。
ここ数週間、ずっと頭の片隅に残っていたものがようやくすっきりした。
それは、「努力」という言葉からにじむ、嫌々ながら、無理をして…というニュアンスである。そして努力は報われるのかという問い。
「嫌々」ならば、「イチローの新記録から見えた、やり抜く力」
のようなことが、果たしてできるのだろうかと。
しかし、この引用でそれがすっきりする。
===
「努力すれば報われる」というのは全くのウソで、実際にはある「成功」が発生した時点からその成功者の過去を遡り、その現象をうまく説明できそうな適当な理由が発見された時、それが「努力」と定義される
Twitter / ls@usada
引用元:
最近見た素晴らしい「努力」の定義
===
「その成功という現象をうまく説明できそうな適当な理由」、それは、過去に対する評価であると。
「努力が報われない」といいながら、世の中に愚痴を吐き捨てながら生きる人間は、
概して、今の自分の状態しか見ようとしない。
しかし、これまでいろいろな人を見てきたが、目的志向の「未来に生きる」人は、
今の自分の状態を評価しようとはしない。
なぜならそれは、評価するにはまだ早い、道半ばの状態だからである。
そのアクションが、努力ゆえの成功だったのか、無駄な努力だったのか。
それは、自分が行ってきたアクションの連鎖という過去を、どう評価するか、それだけである。
と考えると、今私たちの目の前にある設問は次の3つである。
●目指すゴールは何か?
●そのために、何をするか?
●それをどのようにやるか?
「努力が報われない」と言ってる人には、「報われるまでやれ」という助言が適当かもしれない。
やめない限り、ゴールできるのだから。
とはいえ、ゴールに到達するというのは、他人任せではできない。
上のみっつの設問に対して適切に答えた者だけにあたえられるものである。
すべきことは、「努力すること」ではない。
この設問に答え、どうやってそこにアプローチするかという問題である。
同時にこのことは、目的なきアクションが、いかに不毛かということも示唆している。
それが苦痛を伴うことであればなおさらである。
スッキリしたのでまとめておく。
イチロー新記録から見えた、やり抜く力
2009年09月14日
とんでもない記録。
200安打達成。しかもこれを9年連続。
イチローは偉業を達成したようです。
http://www.jiji.com/jc/v?p=mlb-ichiro-records&rel=y&g=phl
http://www.jiji.com/jc/v?p=ichirohits_01-18
===
イチローは米メディアに、「今後の目標を設定すると自分の能力を限定することになる。
可能性としては、まだ技術は向上できると思う」と語ったことがある。
目指すものは、いくつもあるようだ。
===
イチロー、まだ上へ行こうとしているようです。
既に前人未到エリアに入っているのに、そこで良しとしないその姿勢に、
共感というかあこがれというか、プロフェッショナリズムというか、
そういうものをかんじます。
しかし、このようにやり遂げる...というかやり遂げ「続ける」こと、
これこそがイチローの強みのような気がしてならなりません。
===
Grit とは「不屈の精神」「気骨」などと訳される言葉ですが、Clutter と同様、擬音語でもあります。困難を前にして歯ぎしりをしている、あのギシギシという音です。
頭のよさがすべてではない。成功者がもっている特質「Grit」とは何か?
===
そういえば、例の、「メンターからの言葉」にもこんなのがありました。
「やめない人に勝てる人はいない」
もちろん、知性とか、頭の良さは必要だと思います。
しかし、知性があって、要領のよい立ち居振る舞いができたとしても、
最終的な目標達成に向けて、リソース全部をそこに投入し続けられなければ、
結局は、器用貧乏ということになってしまうかなと。
そういう意味で、ここで言うGritという要素が必要になると思うわけです。
イチローも例外ではないでしょう。
イチローは自分の持つ武器を見極め、身体感覚を分析しながら
最高のパフォーマンスをするための研究をしています。
私はそこに知性を感じるわけです。
しかしそれを研究で終わらせずに、高い成果を確実に出す続ける。それは途方もない努力、ギリギリと歯を食いしばるような場面もあったはずです。
普通の人間であれば、そこそこのミニゴールが見えた時点で、
もいっか・・・と思ってしまう。
逆に、困難が立ちはだかったとき、乗り越えなくていい理由を探し出す。
やめるための理由は、様々見つけられるでしょう。
そういうのが人間ですから。やろうと思えば、言い訳はどんどん作れる。
だから、普通の人は、そこで見えた青々と茂った芝生みたいな次のテーマのほうが気持ちいいと感じてしまう。
故に、普通の人なのではないでしょうか?
やり抜くとなったときに重要なのが、
このギリギリと歯を食いしばるようなという「こんにゃろ」みたいなものが必要なのかなと。
商品だけではなく、「個人」までもが消費されまくる世界の中で、
自分自身の開発に身を投じる。それがベストウェイかどうかなんて誰もわかりません。
しかしその自己開発をやめない。あるのは仮説と、それを確実なものにするための
練習/試合。
そういうつぶし効かない分野だからこそ、
リソース全部をどこに投入するかという
切れ味のいい視点がものすごく重要になる気がします。
僕は学生時代、まわりの人によく言われましたよ。
つぶしの効く仕事の方がいいよと。
このイチローの記事をみると、つぶしが効くとかどうとか、そんなことが問題だというより、
自分がどんな成果を出して、どんな風に自己開発していくかというヴィジョンの方が圧倒的に重要なのだと感じるわけです。
フィードバックが、自分を成長させる -書籍紹介- 先を読む頭脳
2009年09月01日
石澤です。今日は珍しく、書籍のご紹介です。
何事も、やりっぱなしよりは、経験を、言語化してみたり、映像で確認したり、
仲間と評価しあったり、そういう自分の経験を振り返ることから、
さらにブラッシュアップできる要素を見つけられる。
その繰り返しが、自分の成長につながると。
アウトプットが重要である、ということの意味が、ここにもあるのかも知れません。
とまぁ、本書のテーマからは、だいぶ離れたところに目がいってしまいましたが、
それでも、成長を望む自分としては、ぜひまとめておきたいことでしたので、ご容赦を。

先を読む頭脳 (新潮文庫) (文庫)
羽生 善治 (著), 松原 仁 (著), 伊藤 毅志 (著)
===
プロの将棋では、対極が終わると必ず「感想戦」が行われます。両対局者が一局を振り返りながら、勝敗のポイントとなった局面を中心に互いの読み筋を披露し合い、勝因や敗因を突き止めていくという一種の検討会です。
<中略>
もちろん家に帰って、自分ひとりで反芻することもできます。しかし、真剣勝負の終わった直後に、対戦相手や場合によっては他の棋士も参加する感想戦で見直すことによって、自分に欠けていた部分に気がつくことが良くあります。
感想戦において言語化して相手に伝え、相手からも受け取るというやりとりは、時として、1+1=2以上の効果を生むことがあると思っています。つまり、感想戦とは、一種の学習する場であり、そこでの蓄積が後で実を結ぶことがあるのです。
===
「振り返る」という行為には、
『(経験しているにも関わらず、それでも)自分が気づかなかったことをネタに、
自分で学びを得ることができる』
という要素が含まれている…ということでしょうか。
どのようなジャンルにおいても、改善の余地は自分の経験の中にあるのですね。
スキルアップ。
これは知識の獲得で達成できることも、あるかもしれません。
でも、自分の経験からも言えるのですが、
「○○っぱなし」ってのは、よろしくないですね。身になっていないというか。
本読みっぱなしとか、セミナー受けっぱなしとか。
割とそこで、スキルをインストールできた気分になってしまう。
しかし、それは気分。
知識を経験に反映させ、行動してみて、そこからフィードバックが得られたときに、
そこで本当のスキルになるんでしょうね。
これは単なる知識ではなく、経験から得られた「智慧」ですよね。
やってみなきゃわからない。
でもやりっぱなしだと、実はあんまり分かってない。
というか、次につながらない。
そういえば少し前、こんな「メンターからの言葉」がありました。
メンターからの今日の言葉:
「チャンスにならない出来事はない。チャンスにしなかった人がいるだけ」
「チャンスにする」ということには、「動く」とか「やってみる」だけではなく、
「それをチャンスにするために、振り返る」
ということまで、含まれているのだな。
ということを再確認いたしました。
では。
『伝説の始まりだ!』
2009年08月27日
今日は、私が最近読んでるブログ・シゴタノから、好きな引用をご紹介。
ブログの中からというより、シゴタノ投稿者・大橋さんのTwitterでの「つぶやき」なのですが。
ネタが無いときは、私が元気をもらっております、「今日のメンターからの言葉」を引用させていただこうかと。
メンターからの今日の言葉:「大きな問題が起きたときに一言 『伝説の始まりだ!』 」
この言葉で、「問題」というのを、前向きにとらえられるようになるのではないでしょうか?
そもそも、問題の解決に取り組もうと思ったとき、
取り組み方、問題解決への姿勢ってのが重要になるかと。
「解決しよう!」と取り組んでいるつもりが、実際は「この問題を、もし解決できなきゃ、どうなっちまうんだ…。」
なんてことをアタマの片隅で考えてしまってる…なんてことはないですかね。
しかしそれだと脳ミソは解決策をひねり出そうとしてくれないようです。
しかも、その「悪いイメージ」というのは、あくまでも自分の想像。妄想?
出来事っていうのは、良くも悪くも受け止められますよね。
その自由に受け止められる出来事を、「悪いことがあるかも」って自分で勝手に思っているだけなんですね。
だったら、まずは無理矢理にでも、
前向きになれるこころの状態、
課題解決に臨めるこころの状態
を作ってから、そのためにアタマを使ったほうがイイぢゃないか!!
という気にさせてくれる言葉だと思うんです。
もちろん、「どうすれば、うまくいくだろうか?」的な、「適切な質問」も大事ですが。
もし問題・解決すべき課題(で、ちょっとヘコみそうなやつ)に直面したときには、
唱えてみてください。
こんな感じで、たまに紹介していきます。




